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オグリキャップが逝ってしまいました [競馬]

昨日、東京ドームで巨人vs.阪神戦を観戦中に携帯に号外メールが。
「芦毛の怪物・オグリキャップ天国へ」
一緒に野球観戦していた競馬仲間たちと絶句。

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2008年11月9日@東京競馬場

サラブレッドとしては長生きな方かもしれないけど、2年前の元気な姿(記事コチラ)が印象に残っているので、まだまだ元気でいてくれると思っていました。芦毛はあまり長命ではないようだけど、シンザン(35歳)に迫るくらいまで…と。

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2008年11月9日@東京競馬場

号外メールを受け取ったときには記事内容をちゃんと読んでいなかったのですが、放牧中の事故だったようです。“脚部骨折で死亡”というのは、骨折が原因でそのまま亡くなってしまったということなのでしょうか。病気があったわけでもないのですよね。
残念です。

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笠松競馬場のオグリキャップ像(2008年7月21日撮影

生物はいつかは死ぬもの。一時代を築いたスターホースの死は大きなニュースですよ。悲しんでくれる人も多い。今月中旬にはお別れの会も催されるようです。幸せな馬でしたよね。
芦毛の怪物のご冥福をお祈りしたいと思います。

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以下、nikkansports.comの記事。

オグリさらば…アイドルホース25歳で死す

 「芦毛の怪物」オグリキャップが3日、北海道新冠町の優駿スタリオンステーション(S)で放牧中の事故で死んだ。25歳。地方笠松から1988年(昭63)に中央入りして重賞6連勝を記録し、G1を4勝。引退レースの90年有馬記念で感動の復活Vを果たした。ハイセイコー以来の第2次競馬ブームの立役者で、種牡馬引退後は功労馬として余生を送っていた。

 オグリキャップが、放牧中の不慮の事故で、25年の生涯を終えた。この日、いつも通りに午前10時から放牧されていたが、午後2時ごろ、関係者が放牧地に出向いた際、右後ろ脚の骨折が判明。放牧中に転倒したものとみられ、治療のかいなく息を引き取った。

 90年に現役を引退後、91年から優駿スタリオンSで種牡馬生活をスタート。07年を最後に種牡馬生活を終え、以降は同所で功労馬として余生を送っていた。芦毛の馬だけに発症する「黒色腫」を患いもしたが、生産界では短命と言われる芦毛馬としては長生きをしていた。25歳は人間なら80歳ぐらい。ここ数年は一般見学は見送られていたが、5月からスタリオンS内の入り口付近のパドックに移り、見学を再開していた。

 競馬人気に多大な功績を残した国民的アイドルホースだった。87年に地方笠松でデビューし8連勝を含む12戦10勝の成績を挙げた。素質を評価され、明け3歳の88年1月に中央競馬移籍。クラシック登録がなく皐月賞、ダービーへの出走はかなわなかったが、いきなり破竹の重賞6連勝を果たし、秋には同じ芦毛のタマモクロスと天皇賞、有馬記念で死闘を演じた。

 1頭数千万円が珍しくない中で、牧場から数百万円で取引された。地方競馬出身で良血とは言い難い血筋ながら、中央のエリートを次々と負かす走りから、瞬く間に人気者に。今では珍しくなくなった競走馬のぬいぐるみの元祖だった。

 89年ジャパンCでは東京芝2400メートルを2分22秒2の当時の世界レコードで走破(2着)。引退レースの90年有馬記念では、直前2戦の敗戦から燃え尽きたとうわさされる中、武豊騎手とのコンビで奇跡の復活勝利を遂げ、日本中を感動の渦に巻き込んだ。中山競馬場を埋めた17万7779人は前年6万8912人の実に2・5倍を超え、レース史上最高。レースの売り上げ480億円も当時最高を記録した。この年初めて3兆円を突破した中央競馬の総売り上げは、オグリ景気を境に右肩上がりで伸び、97年には4兆円に達した。

 引退式は異例の笠松、東京、京都の3競馬場で実施された。引退後は当時国内最高の18億円でシンジケートが組まれ、種牡馬入り。残念ながら「走る能力」は伝えられず、中央では重賞勝ち馬を送り出すことはできなかった。だが人気は衰えず、92年には笠松競馬場で「オグリキャップ記念」が創設。05年には笠松競馬場に登場、08年にも東京競馬場で、元気な姿も披露した。

 優駿の村田繁実代表は「競馬サークルを超えて多くの人に愛され、また地域にも多大な貢献をしてくれた。今はただ冥福を祈ります」と死を惜しんだ。スタリオンSでは7月中旬にも、お別れの会を開きたいとしている。
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90年12月23日 引退レースの
有馬記念を制したオグリキャップ


 [2010年7月4日8時42分 紙面から]


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以下、同じくnikkansports.comより騎手、元騎手たちのコメント記事。

南井元騎手「ファンも思い出多い…残念」

 オグリキャップが3日、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで放牧中の事故で死んだ。

 南井克巳元騎手(57)の話 すごい馬でしたし、地方から来て活躍した最後の馬ではないでしょうか。いろいろな思い出がありますが、一番印象に残っているのはオールカマー。本当に強いと感じました。ファンの方も思い出は多いと思いますし、残念です(89年マイルCSでバンブーメモリーを猛追してギリギリ鼻差かわすなど7戦4勝。連闘で挑んだジャパンCではホーリックスと2分22秒2の死闘を演じて首差2着)。

 [2010年7月4日7時37分 紙面から]

河内元騎手「こんな特異なキャラいない」

 オグリキャップが3日、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで放牧中の事故で死んだ。

 河内洋元騎手(55)の話 乗ったのは最初のころだったけれど、前が勝っていた馬で、じっくり乗ってしまいを生かす方がいいと思って乗っていた。スピードと持久力を兼ね備えていて、無駄なことをしなかった。マイルから2500メートルまでこなしたし、こんな特異なキャラはいない。時代の流れに乗った馬だった(中央入り初戦のペガサスSから騎乗して7戦5勝)。

 [2010年7月4日7時40分 紙面から]

増沢元騎手「亡くなるというのは残念」

 オグリキャップが3日、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで放牧中の事故で死んだ

 増沢末夫元騎手(72)の話 ああいう名馬ですし、亡くなるというのは残念ですね。骨折ですか…。2回乗って結果が出ませんでしたが、それも勝負の世界ですから(90年天皇賞・秋6着、ジャパンC11着)。

 [2010年7月4日7時41分 紙面から]

アンカツ「オグリのおかげで今の自分が」

 オグリキャップ突然の死に衝撃が走った。笠松競馬時代に主戦を務めた安藤勝己騎手(50)は、函館競馬場で「今の自分があるのはオグリのおかげ」と、偉大な名馬の死を悼んだ。

 笠松時代の主戦・安藤勝騎手も、オグリ突然の訃報(ふほう)に驚きを隠さない。函館競馬場の調整ルームで取材に応じ「やっぱりさみしいですよ。ただ、種馬も何年か前に辞めて、牧場のアイドルホースとしていい余生を送ることができたんじゃないかな」としみじみと語った。

 オグリが笠松から中央へ移籍した88年、当時は地方所属のまま中央のレースへ出走することはできず、中央の一流馬と対戦するには移籍以外に道はなかった。安藤勝は「ジョッキーだけでも継続騎乗できないか」とJRAに申し入れたことがある。しかし、答えはNO。自分の“お手馬”に岡部や武豊が乗り、有馬記念などのG1を勝つ。「そりゃ、悔しかった。でも規則だから仕方がない」。一時はあきらめかけたが、中央で12勝を挙げたオグリの活躍がJRAを動かした。

 95年に中央と地方の本格的な交流が始まり、ライデンリーダーやコスモバルクが地方所属のまま中央のG1に挑戦した。また、安藤勝自身も、02年に2度目の挑戦でJRA騎手試験に合格。「馬に乗れればどこでも同じ」。そう考えていた安藤勝に中央移籍を意識させたのはオグリだった。「笠松の名前を全国に知らしめて、中央と地方の垣根も切り開いてくれた。今の自分があるのも、あの馬のおかげだと思う」。

 雑草魂で中央のエリート集団に挑んだオグリ、移籍してダービージョッキーまで上り詰めたアンカツ。名手はともに戦い続けた“戦友”の死を悲しんだ。
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笠松競馬でのオグリキャップ引退式では、
安藤勝騎手が手綱を取った


 [2010年7月4日8時11分 紙面から]

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アキーロ

一度真っ白な姿を生で見た事があるだけに…
長生きしたとは言え、残念とゆうか、悲しいですね(:_;)
by アキーロ (2010-07-05 02:13) 

はーく

>アキーロさん
そうですよね。一昨年は元気でした。
さびしくなります・・・。
by はーく (2010-07-12 00:51) 

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