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大記録達成の魁皇、ついに引退 [相撲]

魁皇関が引退を決めました。
通算最多1,047勝、優勝5回という輝かしい成績を残して。
今年の名古屋場所は黒星続きで、通算最多記録達成までも苦しみました。

友達が魁皇のファンだったので、よく一緒に両国国技館に行っていました。
一昨年には九州場所まで行きましたからねぇ。(記事 → コチラ

大関になってからも角番がお決まりで、いつもギリギリで勝ち越していたという印象の魁皇ですが、なんとか大関をキープしていました。最後の方は満身創痍で苦労も多かったと思います。
もう魁皇の取り組みが見られなくなるのかと思うと残念だけど、本当におつかれさまでしたと言いたいです。

会見のときはいい顔していましたよね。
これからは浅香山親方としてがんばってください!

でも、これで大関以上の日本人力士がゼロになってしまいました。
寂しいです・・・。


--------------以下、nikkansports.comより
魁皇引退会見 笑顔で「悔いなし」

 大関魁皇(38=友綱)が20日、日本相撲協会に引退届を提出し、臨時理事会で年寄「浅香山」の襲名が承認された。この日、名古屋市内のホテルで会見し、笑顔で第2の人生をスタート。右上手が必殺の型だった魁皇と同じように、型のある、強く、格好いい3拍子そろった力士の育成を目標に掲げた。

 引退表明から一夜明け、魁皇は笑顔だった。通算最多1047勝、大関以下では最多5回の優勝。何より、動けなくなるまで完全燃焼した。

 魁皇 やり残したことは、ありません。もう1つ上(横綱昇進)もあったし、地元の九州で優勝したいのもあったけど、できなかった。それ以上に、十分にいい人生を送ってきた。悔いも後悔もありません。

 友綱親方(元関脇魁輝)と引退を話し合ったのは、9日目の夜。10日目に負けたら、退く決意を固めた。

 魁皇 (記録を)苦しんで達成して、ちょっとホッとしてしまった。前に攻めようという気持ちがなくて、体も動かない。もう無理かなと思い始めて、自分の相撲を取れないなら、もうやめようと。最後の引き際かなと思いました。

 約1時間の会見中、涙はなし。むしろ、親方として歩んでいく今後の期待感を漂わせた。友綱部屋の部屋付き親方として「強い、格好いい関取を育てたい。それが夢です」と話す。左四つ、右上手。絶対の型があった魁皇らしく、育てたい弟子のイメージもある。

 魁皇 厳しさがなくなったら相撲界じゃなくなる。厳しさは残していきたい。相撲取りとしては、自分の型をしっかり持った、まじめで、しっかり稽古する、そういう力士を育てたい。

 将来は、独立して部屋を持つ夢もあり「いろんなことを勉強して、ある程度覚えたところで、自分の部屋を持てたらいいなと思う」とも言った。人気力士ゆえ、スカウト活動にも期待がかかる。今はまず、新米親方として、勉強の日々が始まる。

 魁皇 車の運転もできなかったし。外を歩くのもなかなかできなかった。自分は15歳で、この世界に入っている。靴を履く習慣もなかった。普通の格好をすることがなかったので、服装に困る。どういう格好をしたらいいのか…。現役生活が長いと、迷うことがたくさんある。

 故郷の福岡・直方市ではこの日、花火10発が打ち上げられた。勝ったら上がった恒例の花火も、これが最後。これからは、花火を上げてもらえるような力士を育てていく。

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現役引退会見ですがすがしい笑顔を見せた魁皇

 [2011年7月21日9時6分 紙面から]

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タグ:相撲 魁皇 引退
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